菖蒲華 | あやめはなさく | 夏越しの祓え | 茅の輪くぐり | 2022年

菖蒲華 あやめはなさく 歳時記

花菖蒲 菖蒲華 あやめさく




暦は27日より夏至の次候、菖蒲華(あやめはなさく)と移ります。梅雨明けした沖縄・奄美地方を除く本土は、どんよりとした梅雨空が居座り、不快指数の高い日が続きますが、池の畔や菖蒲園などで咲き誇る花菖蒲や寺院などの庭園を彩る紫陽花の花はそれぞれが一服の清涼剤となってくれます。



菖蒲華(あやめはなさく)



菖蒲華 あやめはなさく




七十二候は菖蒲の花が咲く頃という意味の「菖蒲華(あやめはなさく)」と変わっていきます。
菖蒲と書いて「あやめ」と読んでいますが、一般的に「あやめ」と呼んでいる花は5月の中旬から下旬に花を咲かせますので、ここで言う菖蒲はその開花時期から「ハナショウブ」であろうと思われます。
また、五月の節句で飾ったり、風呂に浮かべたりする「菖蒲」とも違いますので、本記事では「菖蒲=ハナショウブ」ということで話を進めさせていただきます。



花菖蒲



花菖蒲 花しょうぶ ハナショウブ




ハナショウブはアヤメ科の御三家ともいえる花の一つで、アヤメ→カキツバタときて、トリを務めるのがハナショウブです。
冒頭にも書きましたが、このハナショウブは端午の節句にお風呂に入れたり、飾ったりする「菖蒲」とは全く無関係です。



菖蒲 ショウブ サトイモ科




一方で端午の節句に使われる「菖蒲」はサトイモ科の植物で土筆(つくし)の親玉のような地味な花をつけるだけで、見た目も「ハナショウブ」のように艶やかではありません。



菖蒲 ショウブ サトイモ科




今回の主人公「ハナショウブ」は野生のノハナショウブを園芸品種として改良に改良を重ねたものです。
その改良に関しては「花菖蒲中興の祖」と呼ばれた旗本の松平定朝は珍しいノハナショウブを各地から集め、その品種改良に大きな力を捧げ、晩年は自ら「菖翁(しょうおう)」を号するまでになり、現代のハナショウブの存在はこの松平定朝によるものと言っても過言ではないでしょう。



再びの「いずれ菖蒲か杜若」



5月の端午の節句の記事で見分け方などには触れておきましたのでよろしければご参照ください。



ここでは「いずれ菖蒲か杜若」という美しさの甲乙や見分けがつけにくいという意味の慣用句の由来についてお話ししたいと思います。



この「いずれ菖蒲か杜若」の由来は諸説ありますが平家物語源平盛衰記太平記の巻21に書かれている伝承で大筋は
「平安時代の武将であり歌人でもある源頼政が伝説上の生き物の『鵺(ぬえ)』を退治した褒美に予てから恋焦がれていた菖蒲前(あやめのまえ)という美女を鳥羽院から賜ることになりましたが、院は12人(5人とも)の美女を連れてきて『この中からそなたが望む『菖蒲前』見事当てたら、そなたに授けよう』と言われ源定朝が区別がつかず思案したときに『五月雨に沢辺の真薦(まこも)水越えていづれ菖蒲と引きぞ煩ふ(五月雨が降り続いて沢辺の水かさが増したため、真薦も水中に隠れてどれが菖蒲かわからず、引き抜くのをためらっている)』と歌を詠んだそうです。その歌に感心した院(関白という記述もある)が自ら『菖蒲前』を引き出し、源定朝に授けたました。」
というものです。
その詠んだ歌に因んだというのが大方の説となっています。
ただ「真薦(まこも)」という言葉も出てくるので、端午の節句に使われる「菖蒲」ではないかという説もあります。



夏越しの祓え



夏越しの祓え




昔から一年に2回、6月の晦日と12月の晦日の「物忌み日」があり、大祓の神事が行われていました。
12月は言わずと知れた「年越し」、そして6月は「夏越(なご)し」として年が明けてから半年間の罪穢れを祓い、後の半年を無事に過ごせるようにと願った日でした。
その風習が現代でも脈々と続いており、6月30日や旧暦の同日に神事を斎行する神社も全国的に数多くあります
境内や鳥居には大きな茅で作られた輪が飾られます。



茅(ち)の輪くぐり



茅の輪くぐり ちのわくぐり




その茅の輪をくぐると厄除け、無病息災が叶うと言われていますが、その由来は備後国風土記や釈日本紀などで伝承させられている素戔嗚尊(スサノオノミコト)蘇民将来という人との逸話が基となっています。
そのお話の概略は
「身なりの卑しい旅人がとある村を訪ね一夜の宿を乞いました。その村に住んでいた兄弟の、裕福な巨旦将来は断り、貧しい蘇民将来は粗末ながらもてなしました。数年後、旅の帰りに再び訪れたその旅人は、蘇民の娘に自ら素戔嗚尊(スサノオノミコト)と正体を名乗り、茅の輪を授け、以後、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教えました。そして素戔嗚尊が去ると村は疫病に襲われ、茅の輪を身につけていた蘇民将来とその家族だけを残して、村人は死に絶えてしまいました。」



という伝承が基となり、現在では設けられた茅の輪を「水無月の夏越の祓をする人は、千歳の命延ぶというなり」と唱えながら、左回り、右回り、そしてもう一度左回りと八の字を描くように3回くぐると厄と穢れが祓われると言われています。
もともと茅の輪には魔除けや疫病除けの呪力を秘めていて、さらには茅(ちがや)は神を招く標識のようなものだとも言われていました。



形代流し・人形(ひとがた)



形代 ひとがた




この茅の輪くぐりの外にも、紙や藁で作った形代(かたしろ、人形)に姓名・年齢を書いて、これで体を撫で、自分の穢れをこの形代に移して川などに流す形代流し」を行うところもあります。
本来は本人自らが川や海の水に浸かって穢れを祓うため禊ぎ(みそぎ)を行うのですが、それに代わって形代を水に流すという方法で厄払いをするのです。



結詞



新型コロナウィルス禍ではアマビエ様なども令和の世に復活し、皆が疫病退散を願い自粛生活を送りました。
今回お話しした「蘇民将来子孫」のお札や茅の輪も心の癒しの助けになるかもしれません。
今年の夏は新型コロナウィルスのみならず、猛暑そして電力不足の懸念等トリプルパンチの夏を迎えそうですが、室内にいても適切に冷房を使い、適度に換気をしながら感染対策熱中症対策を併せて行い、せっかく新型コロナウィルスの感染から免れた高齢者の皆さん、熱中症で体調を崩さないように・・・くれぐれも御身大切、ご自愛ください。



半夏生 はんげしょうず




次回は夏至の末候の七十二候、そして雑節でもある「半夏生(はんげしょうず)」をお伝えします。

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