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綿柎開 わたのはなしべひらく 歳時記

処暑 しょしょ




猛暑、酷暑そして災害級の暑さと叫ばれる中、暦は23日より、二十四節気は「処暑」、七十二候はその初侯「綿柎開(わたのはなしべひらく)」と移っていきます。
今年は新型コロナウィルス感染拡大の第7波とも言われ、医療崩壊の危機すら迫る非常事態となっています。
そしてその影響は新型コロナウィルスの発症の状況と「熱中症」の症状の判別が難しく、病床の確保が難しく「熱中症」で命を落とす方も増えることも懸念される昨年同様の厳しい「夏」となってしまっています。



処暑(しょしょ)



23日より暦は二十四節気の「処暑(しょしょ)」となります。
「処」の字には「おちつく」という意味があります。「処暑」とは暑さがおさまる時期です。
暦便覧では「陽気とどまりて初めて退きやまんとすればなり」とあり、夏の暑さが峠を越し、おさまるという意味ですが、現実的には日中はまだまだ猛暑日を含め30度を超すような厳しい暑さが続いています。
朝晩、特に早朝などは僅かではありますが気温が下がってきて、25度を下回るとどことなく秋の気配を感じさせてくれるのですが、最近ではその気配すら感じられなくなってきてしまっています。







3年ぶりに行動制限の無い夏



政府分科会の尾身先生は以下のように述べられています。



『われわれは今までいろんなことを学んできたので、学んだ知見を活用して、それぞれの人が工夫していただくことがいちばん求められているのではないかと思います。
検査の体制を充実させるとか、ワクチン接種を促進する、これらは政府や自治体がやることです。
市民もいろいろ学んできたので、学んだものをもとにそれぞれが工夫することで、自分を守り人を守る、ここが強調されるべきだと思います。』



またこれから少しずつ残暑も和らいで心持秋風も感じられるようになると、それは太平洋高気圧の勢力が徐々に弱まって後退し始めた気圧配置となったことを表しています。
しかし、暑い夏場のピークを越えても、9月にかけても暖かな空気が流れ込みやすく、秋のお彼岸の頃までは残暑が厳しくなる予想が出ています。



綿柎開(わたのはなしべひらく)



七十二候は処暑の初候「綿柎開(わたはなしべひらく)」の候に入ります。
綿は7月~9月に一日限りの黄色い花を咲かせ、夕方には淡いえんじ色に変わり萎んで落ちてしまいます。
花の儚さや色の変わり方などは沖縄でよく見かける同じアオイ科の「ゆうなの花(オオハマボウ)」に似ています



綿の花




花を終えた後、子房がふくらんで緑色の固い実がどんどん大きくなり、「柎・はなしべ」がはじけるように、ふわふわした綿が顔をのぞかせ始めます。



綿柎開 わたのはなしべひらく




木綿はアオイ科ワタ属の総称でその実の中の種子の表面に綿毛が生えています。
またその綿毛を採った後の種子を絞ったものは綿実油として食用になります。
ちなみに植物の時期は「わた」と呼び、それが繊維として製品となると「めん」と呼ばれるそうです。
そして木綿は、冬には、その保温性から寒さを防ぎ、夏には、蒸し暑さの中、その吸湿性と通気性から暑さを和らげてくれる素材となります。



地蔵盆



さて話題は変わりますが、秋の風物詩が目白押しの京都ではお盆の送り火として有名な「五山の送り火」が今年も16日に行われました。
今年もご先祖様の霊を送るという本来の意味合いが色濃く感じさせてくれた「送り火」であったのではないでしょうか。



ところで23日、24日は関西地方、特に京都地方を中心の風習というか行事の「地蔵盆(じぞうぼん)」です。
毎月24日は地蔵菩薩の縁日で、その内旧暦の7月の24日の縁日がちょうどお盆の時期に近いので「地蔵盆」と呼ぶようになりました。



京都の子どもたちにとって、これなしに夏休みは終われないとも言われるのが「地蔵盆」。
お地蔵さまの前に集まって一緒に遊び、子どもの成長や町内の安全を願う、毎年8月の伝統行事です。



最近では旧暦の7月24日に拘らず、月遅れの24日や新暦の7月24日に行われる所や24日に近い土日で行われる所もあるようですが、8月24日に行われる所も多いようです。



地蔵菩薩 お地蔵さん




そもそもお地蔵様の由来となっている仏教の地蔵菩薩の「地蔵」とはサンスクリット語では「クシャティ・ガルバ」といい大地、胎内、子宮を意味するそうです。
それを意訳して「地蔵」となったそうです。
仏教ではお釈迦様が亡くなられて56億7000万年後に弥勒菩薩様が生まれて衆生を救済すると言われていますが、それまでの間、お地蔵さんが人々を守り救ってくれる役目を担っています



地蔵盆の由来



地蔵盆の由来には諸説ありますが主だったものをご紹介しておきます。



由来その1



賽の河原




親より先に亡くなった子供は成仏できないと言われ、三途の川の賽の河原で小石を積み上げる修行をしたそうですが、ある程度積み上げると鬼が来て、こん棒で壊してしまわれたそうです。壊されればまた摘みなおし、また鬼が来て壊されるの繰り返しでした。
それを哀れんだ地蔵菩薩が鬼から子供を守り救ったという江戸時代に広まったお話が由来だという説



由来その2



六道珍皇寺




地蔵菩薩の化身と言われている「閻魔大王」が地獄で苦しんでいる死者に代わり、自らが地獄の炎で身を焼いて苦しんでいるのを、閻魔大王の裁判の補佐をしていた平安時代の歌人の小野篁(おののたかむら)が目撃し、閻魔大王を救うための供養を始めたという説



地蔵盆 子供




さて京都の地蔵盆は、地域ごとにその行い方は様々ですが、概ねお地蔵様が祀られているお堂や近くに仮屋を立ててその中で念仏や真言(オン カカカビ サンマエ ソワカ)を唱えながら大きな数珠を回わす数珠繰り・数珠回しを行ったり、集まった子供たちはお菓子を食べたりゲーム(昨今ではビンゴゲーム等)をしたりして残り少ない夏休みを楽しんでいるそうです。



結詞



新型コロナウィルスは人々の健康はもとより、生命まで蝕む正しく「疫病」となっていますが、その疫病を退散させる行事や伝統文化までじわじわと蝕んできているように感じてなりません。
自らの健康、生命を守ることはもちろんのこと、そのような失ってはいけない行事や伝統文化もしっかりと新型コロナウィルスから守っていかなければいけないと感じているのは私だけでしょうか。



天地始粛 てんちはじめてさむし




このように二年連続の「夏」から「秋」へを過ごしていますが、暦は粛々と処暑の次候「天地始粛(てんちはじめてさむし)」へと移っていきます。

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